2012年
1月
10日
火
恐竜づくりの歴史
オンアートの”歩く恐竜”づくりの歴史です。
2003年頃 歩く恐竜づくりのきっかけ
代々木体育館の横、特設テントで「ジュラシックパークインスティテュート」は開催されました。
ロボットの恐竜達や映画撮影で実際使われた恐竜のフィギュアなどが展示され見応えはあったのですが、何か物足りない。
やっぱり恐竜には自由に歩いて暴れ回ってほしい!!!
あの映画の世界に入り込んだような感覚を味わいたかった。
そんな恐竜がどこにもないのなら、自分たちで作ろう。
これが歩く恐竜を開発するきっかけになりました。
ここから金丸は1人で "歩く恐竜"の構想を練り始めます。
2004年頃 孤独な戦い
周りの理解が得られず、冷たい視線を感じながらの試行錯誤が始まりました。
作っては試し、試しては作って、いくつものパーツを試作しました。
2005年 ヤングアロサウルス1号制作へ
恐竜制作のために所沢の大きな旧鉄工所を借りました。
金丸と小塚で法人(有限会社ON-ART)を設立し、無謀にも全資金を恐竜制作にそそぎました。
ついにヤングアロサウルス1号制作に着手。
造形師の方々に手伝っていただき真冬の極寒の中恐竜づくりが進みます。
2006年 完成の喜びから失意のどん底へ
春頃。
アロサウルス1号がほぼ完成しました。
歩く姿を見て皆で大喜びしました。
が。
気付くと会社は借金が膨らんでしまい身動きが取れなくなっていました。
初夏、お取引先の方から「こどもの日」のイベントでのデモンストレーション依頼をいただきました。
不完全な部分を含め、実際に使えるように内部機構を大改造しました。
出演の前日に金丸が入院してしまい、冷や汗の出るデモンストレーションでした。
夏頃、忘れもしないこの頃に、「Walking with Dinosaurs」という動く恐竜のイベントが海外にある事を知ったのです。
自分達が開発した恐竜が二番煎じと捉えられはしないか、失意のどん底に落ちた気分でした。
恐竜を見るとつらくなるのでしばらくの間、恐竜に布をかぶせて見ないようにしていました。
がっくり。
私達はその後、Walking with Dinosaursをネットで必死に調べました。
その結果、Walking with Dinosaursは恐竜ロボットを電気自動車の上に乗せ、歩いているかのように見せる仕組みであることがわかってきました。
小型の恐竜には、操作している人間の足が堂々と見えているものもあります。
ON-ARTの機構・コンセプトとは全く違ったものだったのです。
私達のコンセプトはまるで生きているような恐竜を体験することです。
動かす構造や機構は絶対に見えないように作っています。
私達はすぐに自分達の機構を特許申請することにしました。
2007年 アロサウルス1号ついにデビュー
夏、名古屋で恐竜博が開催される事を知り、無謀にも飛び込み営業を
しました。
新聞社のUさんのおかげで名古屋の恐竜博の開会式に出演することが決定。
ただその内容を聞いて驚きました。
200人を超える古生物の研究者の先生方の前で出演。
初舞台が、恐竜の専門家200人の前です。
とんでもないことになりました。でももう、やるしかない!
囂々の非難を覚悟で先生方の前で暴れ回りましたが、なんと先生方には非常に喜んでいただき、私達は胸をなでおろしました。
そしてこの好評価が翌年の東京、新潟での恐竜博の出演へとつながっていきました。
2008年 恐竜博長期出演そして本格始動
「恐竜博」への長期出演をはじめ、ショッピングモールや企業のプライベートイベント等の出演も決まり、恐竜は本格始動しました。
出演と出演のあいだも寸暇を惜しんで、少しずつ機構やフォルム及びライブの演出に改良を加えていきました。
たくさんの人の目に触れれば触れるほど、「なんとかもっとリアルにしたい」という思いがつのっていきます。
5分あれば何かができる。そんな気持ちで改良を重ね、
恐竜は日々刻々と成長していきました。
私達は恐竜を制作するだけでなく、自分達で出演現場に行き、恐竜と一緒に飼育員として出演しています。
自分達の制作した恐竜がお客様の前へ歩いていく時、その時、その場で、恐竜をコントロールし、
恐竜が人間にとってどんな存在なのかを直に感じる事を大切にしています。
観客の皆さんの「歓喜と恐怖と驚き」が恐竜制作の重要な要素といえるかもしれません。
ここから、「現場に出演しないと恐竜制作には携われない」という会社の決まり(?)ができました。
2009年 ラプトル、ヤングアロサウルス2号制作
春、全長3.5mの小型肉食恐竜「ラプトル」開発開始。
小さなサイズならではのむずかしさがありました。
全然うまくいかないんです。
前回の制作でお金を使い過ぎたことがトラウマとなり、他の仕事の合間を見て制作しようとすればするほど悪循環に。
なんとかまとめるのに半年以上かかってのデビューでした。
恐竜本体と、「大きな恐竜を安全に動かす演出システム」で2009年東京都ベンチャー技術大賞特別賞を受賞しました。
表彰式では、石原都知事に非常に喜んでいただき和やかな雰囲気でした。
表彰式会場の展示はこの年制作したヤングアロサウルス2号です。
最初につくられたヤングアロサウルス1号を第1世代とすると、このヤングアロサウルス2号は第2世代ともいえるもので、より大型になり、より軽量化され、操作性がさらに向上したモデルとなります。
2010年 恐竜シリーズ化へ
恐竜のシリーズ化をめざし、今までの2足歩行恐竜だけではなく4足恐竜の開発、そして、2足歩行のサイズアップを目標にしました。
資金をなんとかしなければ。
私達は東京都の新製品新技術開発助成制度に応募しました。
書類審査、そしてプレゼンテーション。
膨大な書類を提出し、ここで問題発生。
プレゼンに他の候補者は現物を持ち込めるのに、私達の現物は大きすぎてはいらない、と言われました。非常に不利です。
苦肉の策で恐竜の首を外し、台座に取り付け動かせるように改造してなんとかプレゼン会場内に持ち込ませさせてもらいました。
ただ、せっかく持ち込んだのに開発の内容の説明や質疑応答が長すぎてプレゼンが時間切れに。
仕方がないので恐竜の口を開けたり、首を上下させながら会場を退出しました。
審査員の方々の笑いを誘ったプレゼンテーションでした。
結果、前代未聞のプレゼンが功を奏したのか(?)、無事に審査を通過し、都の助成を受けられることになりました。
おかげさまでティラノサウルスとステゴサウルスを制作でき、恐竜シリーズ化に向けてのベースになる恐竜の機構開発に成功しました。
2011年 次なるステップへ
全国各地で興行させていただいていた「恐竜ライブショー」を、総合的な恐竜体感プロジェクトへ進化させ、新たに「DINO-A-LIVE(ディノアライブ)」としてスタートをきりました。
ON-ARTのさらなる恐竜体験の探求が始まりました。
2012年 恐竜制作第3世代へ
1月、恐竜開発により経済産業省 関東経済産業局管内の「第4回ものづくり大賞」の優秀賞を受賞しました。
2月現在、私達は「第3世代恐竜開発」として新しい機構を備えた新型の恐竜の開発に着手しています。